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午前にK7編成が上京したことを受け、午後石岡まで南下しましたが、以前にも増してファンの方々が多く、カーブでの撮影は断念し不慣れな流し撮りに切り替えました。
背景の石岡南台の住宅がうるさいですが、こうして見ると一連のボンネット車が時代を感じさせない大変エレガントなデザインであることに気がつきます。
高浜−石岡 1998. 8.15 |
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お盆休み最終日のこの日、午前からまた那珂川の河川敷で撮影を始めたところ、運良くK7編成「ひたち」が通過していきました。
そう言えばその後水戸地区には洪水があり、相当な被害だったと聞きますが、現在はどうなっているでしょうか。
勝田−水戸 1998. 8.16 |
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午前の上りを確認して今度は下り狙いですが、すでに石岡以南は相当な人出と判断し、先般の跨線橋に上がりました。引退直前になってK7編成の登場に色めきたっていましたが、この撮影の数年前は国鉄色が普通に走っていたことを考えると、普段から好き嫌いせず来る列車はことごとく押さえておくことの重要性を再認識させられました。
内原−赤塚 1998. 8.16 |
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引退まで半月となった11月中旬、また水戸を訪れました。
ファンの方もさらに多くなり、それでも何とか内原にて撮影ができました。やって来たのはK7編成。仙台から何度も足を運んだ甲斐があったというものです。
翌15日が485系の最後の撮影となりましたが、高速バスに対抗し老体に鞭打つ485系の活躍はあの「水戸のご老公」を想起させるものがありました。
かくて水カツの485系はその年の暮れ、一部が転属したものの、後進E653系に譲って引退したのでした。
友部−内原 1998.11.14 |